軽井沢の森は雄弁だ。
道の先々で、彼らは旅人に囁きかける。
やわらかな木洩れ日の中、風にのって流れてくる葉の擦れる音。
どこからか聞こえてくる鳥のさえずり。草陰に潜む虫の声。
絶え間なく、ささやかに耳に届く川のせせらぎ。
静まり返った集落は、日が昇るにつれ、
豊かな森の声に包まれていく。
一羽のホオジロが、水波の部屋のテラスに降り立つのが見える。池の浅瀬ではセグロセキレイが水浴びをしていた。星のや軽井沢に足を踏み入れるとすぐに、豊かな生態系に恵まれている場所であることに気づく。「日本野鳥の会」創設者である中西悟堂も、ここ浅間山の麓の自然に惹かれた一人だという。“野鳥”という言葉をつくったとされる彼は、星野温泉に逗留しながら、山に棲む鳥の観察に熱中した。豊かな森は、今もなお、青々と茂っている。
駅で胸一杯に吸い込んだ澄んだ空気。星のや軽井沢に足を踏み入れた時に感じるすがすがしさ。それはまるで、2度、軽井沢を感じる感覚に近い。そこに広がっているのは、樹々と水に囲まれた集落。初めて訪れたにも関わらず、原風景の中に迷い込んだかのような居心地を覚えるのはなぜだろうか。豊かな水が溢れ出る棚田、静かに佇む凛々しい石垣、日本家屋の面影を感じるテラス、四季の自然を慈しめる窓のつくり。西洋の暮らしに迎合しすぎない日本があったとしたら。和の文化が熟成を重ねて今を迎えていたとしたら。目の前の集落を眺めつつ、思いを馳せる。
水のせせらぎに誘われて、朝の散策に出たくなった。静けさが漂う木漏れ日の中を進む。いくつかのベンチとすれ違うが、今朝は、イチイの丘に置かれた椅子をめざす。途中、野草が茂る小道を見つけた。柔らかな土の感触を、足の裏で楽しみながらゆっくりと歩く。この集落には舗装された道もあるが、そこから外れて道なき道を散策するのも自由だ。星のや軽井沢は施設ではない。広大なひとつの庭と言えるだろう。
日が落ちると、丘の上にある温泉へと人が行き交う。橋の向こうから近づく下駄の音。杉という木の性格なのか、メディテイションバスで五感が研ぎ澄まされたせいなのか。下駄の乾いた音だけが、大きく心地よい響きをもって耳に入る。夜の静寂は、軽井沢の森をより一層濃くしていった。
山路地の部屋の窓は、群れ立つ樹々の風景を大きく伸びやかに切り取っていた。窓を開けると、清爽な空気が運ばれてくる。星のや軽井沢では、自然との距離がどこにいても近い。ソファに体を預けていても、自然の中に身を浸しているような感覚。森の呼吸がすぐそばで聞こえる。
星のや軽井沢の広々とした集落の中で、訪れた人はそれぞれに心と体が安らぐ時間を見つけていくに違いない。ある人はトンボの湯に浸かっている時だったり、ライブラリーでくつろぎながら普段は手に取らない本に目を落とす時間に、休息を見出したりする人もいるだろう。客人ではなく、谷の集落の住人として、彼らは自分だけの憩いを求めるかのように、森の声に耳を傾けながら、今日も木漏れ日の中を歩いている。