石垣島から船で10分。
人口360人のこの島は、一致協力を意味する「うつぐみ」の精神により、
集落の姿や伝統文化が守られている、世界でもかけがえのない場所。
サンゴの砂が敷き詰められた白い道、ゆんたく(おしゃべり)している人、
家々から鳴り響く三線の音…。島は旅人を静かに迎えてくれる。
竹富島で暮らすように滞在すれば、島本来の姿が見えてくる。
集落の家々を白砂の小径がつなぐ。ビーチサンダルに入り込む砂さえも愛おしい。竹富島の集落は、国の重要伝統的建造物群保存地区に登録されている。伝統的な家々の琉球赤瓦の屋根には、愛嬌のある表情のシーサーが鎮座する。グックと呼ばれる珊瑚石で組まれた石垣が強風から家を守ってきた。どっしりとした石垣を見て、この場の自然環境の厳しさを知る。だが、竹富島の風景を守ってきたものはシーサーや石垣だけではない。島に住む人々なのだと、集落を歩きながら改めて思う。
早朝の砂浜は、ただ波の音だけが響いていた。遥か昔からそうであるように、八重山の海と向き合う場所としてのビーチが広がっていた。まだ日帰り観光客のいない朝と夕が、本当の竹富島の姿。昨日、島の人から聞いたそんな話を思い出した。星のや竹富島に戻っても、島の3つの集落のどこかを歩いているかのような感覚に陥る。ここは、沖縄の伝統建築を再現した48棟の家々が連なる、島のもう一つの集落だ。「竹富を知りたければ、暮らすように滞在しなさい」。星のや竹富島は、旅人にそう語りかけ、島民のひとりとして迎え入れているような気がした。
星のや竹富島が生まれたばかりの頃、ここは白い集落だった。掃き清められた白砂の道。そして珊瑚でつくられた石垣は、まだ白色のままだったという。それが、どうだろう。展望台から見下ろすと、島の4つ目の集落と言われる理由がよくわかった。強い日差しと風雨にさらされ、石垣は黒みがかって味わいを増していた。路地を歩いていると、ハーブが茂る畑に目がいく。かつて島民たちが、薬代わりに庭で育てていたように、ここでは島に伝わる9つの薬草を栽培し始めているそうだ。この集落は、まだ若い。だが、新たな“島の風景”として着実に溶け込み始めていた。
竹富島の集落を歩くと、どこからともなく三線の音が聞こえる。星のや竹富島のゆんたくラウンジからも、唄が聞こえてきた。島の演者による小さなコンサート〈夕凪の唄〉が始まったのだ。恋の唄、島の唄、生きる唄。竹富島に古くから伝わる唄のひとつ、「安里屋ユンタ」を聞いていると、温かい感情が体の奥底からわき上がった。それはこの場にいる誰もが体感しているようだった。「うつぐみの心」が聴く者たちをひとつに結びつけたかのようだ。心が三線の弦のように奮え、互いに共鳴する。島唄は先祖から受け継いだ美しい宝。このラウンジは、それを皆で分かち合う場所でもあるのだ。
客室の窓を開け放てば、心地よい海風が吹き抜ける。縁側に出ると、時折風に乗って道行く人の話し声や足音、鳥の声が聞こえる。風が止まると同時に静寂が訪れる。じっと目を閉じると、まるで時が止まっているかのようだ。そういえば、竹富島に来てから一度も時計を見ることがなかった。明るくなったら起き、お腹がすけば食事をし、昼寝をしたり、プールで泳いだり、縁側に座って島民から竹富民具づくりを教わったりもした。ゆっくりと流れる「島時間」に身を委ねていると、まるで島の一部分になったかのような気分になった。
体の力を抜き、水に浮かぶ。プールから星空を眺めた。目の前に広がる闇に星がきらめいている。プールはすり鉢状をした窪みの中心にあるため、周りの建物は一切見えない。いつもの夜空が、特別なものに思えた。竹富島の夜の暗さを守るために、星のや竹富島では、道端の灯りが足元を照らしているのみだ。島唄に登場するティンガーラ(天の川)、むりかぶし(すばる)などの星々が、依然としてこの地に輝いている。夜空を仰ぎ、体と心を整える。そうだ、今まさに島民と同じ夜を共にしている。青い海と白い道。そして漆黒の夜もまた、竹富島の色なのだ。